My Own Private PENDLETON vol.3
ペンドルトンが彩る日常 vol.3:松田文登さん(ヘラルボニー代表取締役Co-CEO)
創業以来、160年以上にわたりアメリカを代表するライフスタイル・ブランドとしてそのルーツであるインディジネス・ピープルズ(ネイティブ・アメリカン)はもちろん、アメリカならではの古くて新しいオーガニックな暮らしを彩ってきた<PENDLETON>。新連載「My Own Private PENDLETON」では、そんな日常を編みながら未来へと続くカルチャーを形創る方々をご紹介します。第三回目はヘラルボニー代表取締役Co-CEOの松田文登さんをお招きして、地元・盛岡を拠点に世界に向けアートを通じて「障害」を「可能性」に変えていくための物語を紡いできました。
キムタク、妻、古着屋
――<PENDLETON>とは、どのように出会ったのでしょうか?
松田文登(以下「松田」):たぶん中学生くらいの頃、それこそ当時キムタクがドラマで<PENDLETON>のウールシャツを着ていたりもしていた頃で、雑誌などでもよく見たりしていました。初めて買ったのは高校生の時だったと思います。前回の本間良二さんもお話ししていましたが、同じくウールシャツを古着屋さんで。
今日着ているジャケットも<PENDLETON>のものなのですが、妻が盛岡で経営していた古着屋さんで買ったものです。<PENDLETON>の古着もよく買い付けていたので、そこで色々な商品に触れて、ブランケットやタオルなど洋服以外のものや新商品も買うようになりました。
不変的な美、ハーディング、文化の架け橋
――それはとても素敵な出会いですね。車にも「ハーディング(=HARDING)」パターンのオーバーサイズ・タオルを載せてありましたが、どんなところに惹かれたのですか?
松田:コロナ禍に本格的に渓流釣りを始めて、ちょうどその頃に子どもも生まれたので車を買い替えたんですけど、自分がアウトドアで濡れたり、子どもが汚してしまったりすることも増えてきて、カバー代わりにもなっていいかなと思い置いてみたら、しっぽりとハマったんです。汚れても気軽に洗えるし、以来愛用し続けています。
「ハーディング」柄を選んだのは、まずはお店で手にとった時のインスピレーションから。時代とか流行に左右されない普遍的な美しさを感じて、その後にパターンの持つインディジネス・ピープルズとの文化の架け橋的な意味合いも知り、私たちが<HERALBONY>で実現していこうとしていることとの共通点を感じました。
「時代とか流行に左右されない普遍的な美しさを感じて、その後にパターンの持つインディジネス・ピープルズとの文化の架け橋的な意味合いも知り、<HERALBONY>で実現していこうとしていることとの共通点を感じました」
<HERALBONY>という名前の由来となった、4歳上の自閉症の兄・翔太さんが小学校時代に記していた謎の言葉「ヘラルボニー」。岩手県・盛岡市にオープンした初の旗艦店「ISAI PARK」にその自由帳が展示されている。
アート、「障害」、「個性」
――「異彩を、放て。」というフレーズを掲げ、主に知的障害のある作家さんたちの作品をライセンス化しアート作品として国内外へ展開することで、作家さんやそのご家族の生業を創出していく<HERALBONY>さんの事業は、作品そのものの価値をしっかりと社会に届けることで、確実に「障害」という言葉の持つイメージを変えるきっかけになっていると思います。
松田:もともとある「美」を、よりよい「美」としてしっかりと社会に届けたいという想いが<HERALBONY>の源流にあるので、そう言っていただけるととても嬉しいです。
「障害のある人」と「ビジネス」の関係は、どうしても福祉や支援の文脈で語られることが多いのですが、私たちは契約している作家さんたちの才能を生かしながら、既存の資本主義経済の中で成立させることで、「障害=欠落」でも「障害=安い」でもなく、「障害」を「特性」や「違い」、「個性」に変えていけたらと思っています。
そもそもアートに「障害」のあるなしは関係のないものだったはずで、ゆくゆくは作品や商品が「障害」という言葉なしに、そのものの魅力で買われるようになって欲しい。まずは一人の作家として知られたその先に、「障害」についても知られていくという流れを作っていきたいです。
©︎HERALBONY。アートへの最大限のリスペクトと原画から感じるエネルギーを纏うプロダクトとして2024年にラウンチした「HERALBONY ISAI」ラインの洋服。着る人が異彩作家の描くポストカードを変えることで、アートを飾る額縁としての新しい衣服のあり方を提案している。
HEARLBONY ISAI、変容、責任あるものづくり宣言
――そんな作家さんたちの魅力的な作品をプロダクトとして展開するにあたり、当初は他ブランドとのコラボレーションが多かったと思うのですが、昨年からオリジナルのアパレルラインも発表され、そのクオリティにも更なるこだわりを感じます。
松田:2024年の5月に、アートへの最大限のリスペクトと原画から感じるエネルギーを纏うプロダクトとして「HERALBONY ISAI」という新ラインを発表したのですが、その開発にあたり、「障害」のネガティブなイメージ変容に挑む企業として、ものづくりにおいてもしっかりと責任を果たしていくために、「責任あるものづくり宣言」を発表しました。
偏りや過度な負担、不条理を産むような選択をしないために、毎年自分たちの現在地点を確認しながら次の段階を目指して行くような試みで、大企業だとなかなか難しい部分もあると思うんですけれど、自分たちくらいの規模だからこそできることもあると思い、まだ実現できない部分も含めてしっかりと開示しながら、目標に向かって取り組んでいます。
「私たちも自分たちの価値観を大切にしながら違いにリスペクトを持ち、『“普通”じゃないことが可能性』として普通に受け入れられるような文化を、盛岡から世界へ届け続けていけたら幸せです」
盛岡市で150年以上商売を続けてきた百貨店「カワトク」の1Fウィンドウ全面にオープンした「ISAI PARK」。盛岡から世界へ向けて「“普通”じゃないことが可能性」として受け入れられる未来を100年かけて作っていこうと共鳴し合い、<HERALBONY>初のフラッグショップが誕生した。
ISAI PARK、盛岡、世界
――<HERALBONY>さんの創業の地である岩手県盛岡市に2025年3月にオープンした初の旗艦店「ISAI PARK」には、広々とした空間にショップだけでなくカフェやギャラリー、それにDJブースまであり、<HERALBONY>さんが目指す未来を実際に体験できるスペースですね。
既に多様なバックグラウンドを持つ人たちが集まりコミュニケーショトしていて、まさに「公園」のような独特な雰囲気が漂っていました。
松田:3月には東京初の常設店舗でありアートを通じて社会の境界をなくす実験の場として「HEARALBONY LABORATORY GINZA」を、「障害」というイメージから一番遠い場所かもしれない銀座にオープンすることができました。昨年からはパリにも拠点を持ち、海外展開の準備を進めているのですが、そんな流れの中にあるからこそ、やはり創業の地である盛岡の重要性が高まっていくと思っています。
私はヒップホップが大好きなのですが、やはり様々なバックグラウンドを持つ人や文化がストリートで混ざり合うことでお互いを受け入れ、それぞれの良さを理解しながら、サンプリングすることで新たな文化は生まれるのだと思います。
<HERALBONY>の試みはまだまだ始まったばかりですが、私たちも自分たちの価値観を大切にしながら違いにリスペクトを持ち、「“普通”じゃないことが可能性」として受け入れられるような文化を、盛岡から世界へ届け続けていけたら幸せです。
<PENDLETON>さんもオレゴン州ペンドルトンという創業の地に根差しながらグローバルに展開することで、100 年以上にわたり世界中にインディジネス・ピープルズの文化を伝え続けていますが、やり続けることに意味があると思っています。
松田文登
まつだ・ふみと / 株式会社ヘラルボニー代表取締役Co-CEO。ゼネコンにて、被災地の再建に従事、その後、双子の松田崇弥と共にへラルボニーを設立。4歳上の兄・翔太が小学校時代に記していた謎の言葉「ヘラルボニー」を社名に、福祉を起点に新たな文化の創造に挑む。ヘラルボニーの国内事業、主に岩手での事業を統括。岩手在住。双子の兄。Forbes JAPAN「CULTURE-PRENEURS 30」選出、第75回芸術選奨(芸術振興部門)文部科学大臣新人賞 受賞。著書『異彩を、放て。―「ヘラルボニー」が福祉×アートで世界を変える―』。
photography:Ai Iwane
text:K2(SHATEKI Inc.)
edit:Sohei Oshiro(CHIASMA)